top of page
2022.11.15

日記、日誌、ブログ、Special


日記はほぼ毎日更新されます。日誌は仕事で使われることが多いのですが、休日以外は山のように記事が追加されます。ブログは書く人に寄りますが、日記と日誌を合わせた機能を持っています。いずれにしてもこれらは、何月何日に書かれたかがわかるように、日付が冒頭に表示されています。
さて、毎日新しいことが追加されて行くと、その量は膨大なものとなり、本人でも手に負えないくらいの量になりますが、その量に見合った価値があるかと言うと、甚だ心許ない。日記が自分のためのものであるのと違い、業務日誌は、組織のために書かれるので、量が多いからと言って、いずれ捨ててしまうわけには行きません。希にですが、裁判の証拠として採用されることだってあり得るわけです。
ブログは現状、玉石混交ですが、日記的なブログは為すにまかせればよく、日誌的なブログも、誰かが管理しているわけではありません。(twitter、facebookも広義のブログですが、時々事件に繋がる無政府状態が続いています)

日記、日誌、ブログは時系列であることが共通点ですが、上述したように価値は少ない。ここで時間を消去した記述には価値が宿ることを主張します。(何月何日何時に起きて歯を磨いたという記述は、いくら積み上げても無価値ですが、何月何日何時に歯を磨いた時、歯が欠けて歯医者に行ったが、出血が止まらず、糖尿病との合併症で彼は偉大な人生の幕を閉じたというような記述があれば、これは彼の生涯の記述として価値があるわけです)

このサイトメニューをSpecial と名付けたのは
日記、日誌、ブログではない、時系列ではない、特別の事を書くページという意味からです。性質上、毎日更新されるものではありません。(大作家の全集で、日記や手紙は1〜2冊くらいしかありません。作家の本領は、特別の事が書かれたものが大多数を占めるということです)

さて、このSpecialというのは英語ですが、Macintoshで特別メニューというのがOS7時代までありました。英語のSpecialメニューの訳で、再起動、システム終了等が入っていましたが、現在はappleメニュー(リンゴマーク)に移行しています。
このWebSiteを作るに当たって、メニュー名をどうしようかと考えたのですが、日本語・英語ごっちゃになるので、全部英語にしました。もともとWebSiteはアメリカから来たものなので、英語の方が様(さま)になるのです。

以上、Specialページの説明といたします。

2024.11.15

50年紀説補遺

石田泰尚ヴァイオリン・リサイタルのプログラムノートを書いたところ、2000字にもなった。一つの事を書いて、防衛の意味でそれに対する反論を記載しながら書いたためだが、これでは多いので、プログラムノートは結論だけを書いて1000字ほどにした。

しかし補足の意味で、結論に至るまでに考えていたことを書いておくことは、論旨を補強する意味があるので、書いておくことにする。

明治維新以後、欧米の知識を取り入れたが、欧米とはイギリス、フランス、ドイツ、アメリカが主で、それぞれいろいろな影響を日本に与えたが、二十歳前後(1967年頃)はドイツが一番優れていると思っていた。19世紀初頭のベートーヴェンの活躍が、続くロマン派にも影響を与え、普仏戦争でフランス人にも打撃を与え、20世紀は自然科学においても量子力学のトップを走るなど、ドイツは圧倒的であった。

第二次世界大戦が終わってもしばらく余韻は続き、1967年頃の二十歳の青年にとっては、歌を歌う時はアインツバイドライと拍子を取り、論争においてはアウフヘーベンしなければならぬと思い込み(今も思い込んでいる)、ビルの屋上にはビヤガーデンが必ずあった。

しかし最近になってこれらが無くなっていることに気がついた。どうもドイツの影響というのは明治維新以後100年に限られるようだと考えて、50年紀という言葉を作った。第一50年紀が1868〜1917、第二50年紀が1918〜1967、第三50年紀が1968〜2017、第四50年紀が2018〜ということになる。ふつう分類は50年、100年単位にすることが多いが、明治維新(1868年)のころのドイツは、ドイツ帝国確立でおおわらわだった時で、明治維新の頃の日本が欧米にそんなに遅れていたわけではないのだということから、1868年を起点にするのはおかしくないと考えた次第である。第2の1918年は大正ロマンの時代であり、太平洋戦争という大きな(大きすぎる)出来事は挟まったが、1967年までを第二50年紀と呼んで差し支えない。こう考えると、第三50年紀はドイツの影響が無くなり、アメリカの圧倒的な影響下にあったのだと振り返ることが出来る。今や、日常で使っているドイツ語はアルバイトくらいしか残っていない(東京都知事がアウフヘーベンと言うが、知ったかぶりにすぎない)。

尚、マイナスの年紀についても1868年が起点になり得るかという点については成り立たないと思う。そういう意味では1868年というのに普遍性があるわけではない。しかし1867〜1818年や1817〜1767年についてはモーツァルト、ベートーベン及びロマン派の時代として、音楽史として理解しているので、こだわる必要はないと考えている。

Copyright © 2022−2025 Rzp All rights reserved.
bottom of page